4年度第2回 : 自衛隊入間病院開院と航空自衛隊衛生の歩み

空幕主席衛生官
 桒田 成雄 空将補

令和4年度第2回目の講演会(三木会)を7月21日にグランドヒル市ヶ谷において、開催した。

 現在、空幕首席衛生官として勤務されている桒田空将補に、これまで勤務された中でのトピックスと自衛隊入間病院開院に伴う経緯や苦労話等について講演していただいた。

 講演終了後、斎藤会長から本講演に対する謝辞が述べられた。


 本日は三木会にお招き頂きまして誠にありがとうございます。衛生に関する発表は平成16年の赤松様以来ですが、ご参集の皆様をはじめとしたつばさ会の皆様に私及び空自衛生が頂いたご指導への感謝を申し上げる機会としてお話しさせて頂きます。

 自衛隊入間病院は、3月17日に開院の日を迎え、岩本政務官ご臨席のもと、開院行事を執り行いました。

 私の経歴ですが、出身は広島県、防衛医大を平成4年に卒業、初勤務は平成6年奥尻島、これは北海道南西沖地震の一年後でした。群司令は濱屋様から山田様、そして北警団司令林吉永様、副司令赤羽様のご指導を頂きました。林様から「銃剣道の段を取れ」という指導を頂いて掛け声初段を取得、濱屋様からは基地警備小隊長を命ぜられ、有線電話をガラガラ回しながら陸自レンジャーの襲撃を受け、2度全滅しました。

 この年12月、千歳救難隊UH-60J型機の遊楽部岳への墜落事故が起こります。私はこの飛行機に、崖から落ちて腰骨を折った土木作業員と、看護師さんとともに搭乗する予定で、青苗空港で待機しておりましたが、事故に伴い、翌朝、近海で海底地形の変化を調査していた巡視船で函館に向かいました。6mの波、6時間の航行ののち函館入港、患者様は病院に収容されましたが、残念ながら、その日に亡くなられました。

 奥尻島勤務後三沢病院で1年勤務、その後防衛医大で5年間を血液内科の臨床と研究で過ごしました。

 T-33型機の事故時は防衛医大で停電を経験しました。

 那覇83空隊衛生隊長を命ぜられ、家内と1歳の息子をつれて赴任の段取りを進めていたある夜、テレビで見たのが同時多発テロでした。着任後ご指導を頂いたのが基群では上原様から糸永様、飛行隊長では増子様、団司令では双石様、内田様、副司令渡部様、南混団内山団司令にも一度報告に入りました。ここで、健康診断を通じた隊員の健康管理の状況があまりよくないのではという思いが湧いてきました。制度を変えるには指揮幕僚課程に行くのが早道と思い試験を受け、幸い合格を頂きました。

 幹部学校ではCSC51期として、内山学校長、斎藤、増田教育部長及び教官の皆様にご指導を頂きました。同期には宇宙飛行士となった油井様がおられます。

 CSCを終えて空幕初勤務となりました。

 当時平成16年は津曲空幕長から吉田空幕長に代わられるところ、首席衛生官では赤松様、その後緒方様にお仕えしました。イラク復興支援派遣航空隊関連業務、事故としては新潟救難隊のMU-2型機、またスマトラ大地震に対する国際緊急援助任務中の隊員の転落死に対応いたしました。2年半の後、統幕J4にスリッパ異動、J4部長古賀様、後方補給官の水野様、杉山様のご指導を頂きながら、地震、ネパールPKO、USFJとの調整等の業務に従事しました。

 4年の市ヶ谷勤務の後入間の航空医学実験隊に着任しました。隊司令は高田様、当時入間にあった開発集団では長島司令官、秦司令官のご指導を頂きました。要人を含む低圧訓練、不整脈対応に悩みながらの加速度訓練、空間識訓練装置への某国操縦者受け入れを行いましたが、後にこの人たちが竹島上空を飛び始めました。

 平成21年12月、2度目の空幕勤務、空幕長は外薗様、岩﨑様から片岡様、首席は山田憲彦様でありました。ここでは何といっても東日本大震災とF-15型機の墜落事故が記憶に残ります。

 平成24年8月、2度目の医実隊、今度は航空身体検査を行う第3部長となりました。ここで、皆様指定操縦者のデータを防衛衛生学会で発表しましたが、大変すばらしいデータ、特にメタボリックシンドロームと判定される方の割合が年々減り、禁煙される方の割合がどんどん増えていくことに感銘を受けました。隊司令は吉村様に続いて山田様、開発集団司令官は杉山様、森本様、そして岩成様にご指導を頂きました。

 平成27年4月、3度目の空幕勤務、空幕長は斎藤様から杉山様、首席衛生官は福島現中病長にお仕えしました。このときはU-125型機の事故に対応しました。

 平成29年8月、支援集団医務官を命ぜられました。司令官は小城様から山田真司様、副司令官が平塚様から西谷現補給本部長、幕僚長は松谷様から加藤木様でした。指揮官を直接お支えする部長として、司令部の皆様からも数々のご指導を頂きました。

 平成30年12月、医実隊司令に上番、司令官は井上様から森川現支援集団司令官のご指導を頂きました。ここではF-35A型機の墜落事故、それを受けた空間識訓練の強化に従事しました。

 そして令和2年12月現配置に上番し、コロナ対応、F-15型機事故、ウクライナ侵略等の事態に対処しております。

 ここから、空自衛生についてお話ししてまいります。令和3年3月に決裁を得た衛生態勢整備計画(案)の中で、空自衛生機能は、航空医学態勢、保健医療態勢及び事態対処態勢の3つに整理されております。これら機能を担う自衛隊入間病院、航空機動衛生隊の経緯及び航空医学実験隊の入間移転についてご説明します。

 まず自衛隊入間病院です。平成16年に始まったイラク復興支援任務ですが、7名からなる衛生隊の要員は、チームとしてではなく、一本釣りで編成されていました。3つの病院は、派遣要員のプール機能としては貧弱でした。我々の先輩山田様はこの経験を踏まえ、3病院を集約して衛生リソースを集中させ、機動、連携させる発想を得、多くの方々のお支えにより今日を迎えたものであります。三沢、岐阜病院は廃止され、3空団衛生隊を機能強化、2補衛生課を新設、那覇病院は陸幕長に指揮移転し、9空団衛生隊の機能を強化、更に中警団衛生隊と医実隊の身体検査機能が入間病院に集約されました。入間病院の機能として、隊員及び家族等の診療を行うとともに、事態対処時の患者後送拠点として、空輸前後の安定化処置・治療を行い、また医療従事者の教育訓練機能、操縦士等の航空医学的管理、そして、一般市民の救急診療を担うこととしております。

 次に航空機動衛生隊です。神戸出身の山田様は、阪神大震災に衝撃を受け、これを契機に国として推進された広域医療搬送の一翼を担うべく、固定翼機を用いた重症患者搬送能力を整備することについて研究を始めました。 平成18年に航空機動衛生隊が新編され、電磁干渉問題の解決策として導入された機動衛生ユニット(現在4式)は、東日本大震災での初任務を経て臓器移植等高度医療のための搬送手段として注目されるようになり、令和2年には、故安倍総理から表彰を頂きました。

 医実隊の移転は、緒方様が空幕勤務時、高性能戦闘機導入に伴う遠心力発生装置の換装検討時、電力所要が大きいため立川では収まらず、入間に整備された平成12年に始まります。その後、他の訓練装置換装に合わせて3部、4部、総務部が移転しましたが、残りの1部、2部が首都圏部隊等再配置事業として昨年度末移転を完了しました。 創立60年を超える伝統ある部隊として引き続き調査研究を行うほか、近年発生した航空事故の調査結果を受け、低圧訓練に加え、加速度訓練、空間識訓練についてもリフレッシュ訓練を行っているところであります。

 私達空自衛生職種は引き続き皆様のご指導を頂きながら、空自の任務を支えてまいります。まだコロナは続いておりますが、入間基地お立ち寄りの予定がございましたら、是非入間病院及び航空医学実験隊のご視察を検討下さい。


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