4年度第1回 : 中国防衛駐在官勤務を終えて

「新型コロナ感染拡大と武漢市における邦人等退避オペレーション」

空幕装備計画部整備・補給課
1等空佐 岩切 主悦

令和4年度第1回目の講演会(三木会)を令和4年4月21日(木)にグランドヒル市ヶ谷において、ソーシャルディスタンスを確保した会場設定により、開催した。
令和3年7月まで在中国大使館付武官をされていた岩切主税1佐に、在任中に経験した武漢コロナ対策や中国とロシア・ウクライナとの関係等について講演していただいた。
講演終了後、齊藤会長から本講演に対する謝辞が述べられた。

はじめに

つばさ会の皆様には、航空自衛隊に対して日頃からご厚情を賜り、深く御礼申し上げます。私は2018年6月から2021年7月までの3年間、防衛駐在官として北京の中国日本国大使館(以下「日本大使館」という。)にて勤務しました。
 本日は「中国防衛駐在官勤務を終えて」と題し、中国軍人及び北京に駐在する諸外国武官との意見交換や中国生活を通して経験した内容を中心に現地の温度感や肌感覚などの実情を交えてお話します。なお、本講演内容は全て個人的な見解であり、所属機関とは無関係であることをお断り申し上げます。(本稿では、講演内容の中から「新型コロナ感染拡大と武漢市における邦人等退避オペレーション」について掲載します。)

中国赴任間における日中関係の変化

 2012年の尖閣諸島国有化以降、冷え込んでいた日中関係は2018年5月の李克強首相の訪日以降、各分野において往来が正常化し始めました。また、同年10月には約6年ぶりとなる総理訪中が行われ、私は北京空港にて政府専用機の運航支援に携わり、僅かなミスも許されない厳格な総理ロジのオペレーションを経験しました。

 2019年に入ると米中貿易摩擦がエスカレートしていく状況を肌で感じるとともに、同年6月には国家安全維持法に反対する大規模デモが香港で発生、同年7月には中露爆撃機の共同による初めての日本周辺飛行、同年10月は中国建国70周年軍事パレードなど中国の変化を目のあたりにしてきました。そして、同年12月には2年連続となる総理訪中が行われ、北京空港と四川空港にてB-777へ機種更新した政府専用機の運航支援に携わりました。

 この頃から「2020年の桜が咲く頃に習近平主席が訪日する」といった話題が日本のメディアで頻繁に取り上げられ、日中間の各種交流が推進する時期でした。しかし、武漢市において新型コロナ感染拡大という予期せぬ事態が発生し、私は防衛駐在官としてチャーター機による合計828名の邦人等の帰国支援に携わることになりました。

新型コロナ感染拡大による武漢市のロックダウン

 2020年1月23日午前10時、中国政府は武漢市を事前通告なくロックダウンし、同市を発着する全ての公共交通機関が停止しました。ロックダウン当日、中国国営放送のニュース番組に目を向けると、武装警察が武漢市のターミナル駅入口を封鎖し、市民が足止めされている映像が飛び込んできました。中国では1月25日から春節(旧正月)が始まり、官公庁や企業は約1週間の春節休暇を取るため多くの中国人は故郷で過ごそうと中国国内で大移動が行われていました。武漢市でも多くの中国人がターミナル駅に詰め掛けていたところ、突然のロックダウンによって怒りの矛先を武装警察に向けているところでした。

 日本大使館も1月24日から1週間の休館となり、館員は長期休暇を利用して日本へ一時帰国したり、中国国内を旅行したり、など様々でした。中国の防衛駐在官は陸海空の3名体制です。週末や大型連休の際は外交上の不測事態に備えて3名のうち1名は必ず北京市内に待機する態勢を取っていました。この年の春節休暇は私が待機当番であったため、日本政府が政府専用機又はチャーター機を派遣する方向で準備が進められているとの一報を日本大使館から受けました。連絡を受けた直後に登庁し、数名の同僚とともに武漢市が位置する湖北省にてB-777型の政府専用機が離着陸できる空港の洗い出しや武漢市から陸路で脱出する場合の最適ルートなどの検討に着手し、深夜まで素案の作成が続きました。 余談ですが、空路や陸路が利用できない場合を想定し、武漢市中心を流れる長江をチャーター船で下り、上海市まで輸送する手段も検討していました。

邦人退避オペレーションチームの編成

 1月25日夕方、次席公使(大使館ナンバー2)を長とする緊急会議が日本大使館で開かれ、春節(旧正月)の初日にもかかわらず北京に残っている館員数十名が参集しました。会議の冒頭、次席公使から、日本政府は政府専用機又はチャーター機を武漢市に派遣する予定であること、武漢市に館員を派遣し邦人退避オペレーションの現地対策本部を設置する必要があることなどの説明を受けました。そして最後に「在外邦人の安全確保は外務省職員の最も基本的かつ重要な任務である。自分(次席公使)が邦人退避オペレーションの現地指揮を執るのでロジ担当者は同行してもらいたい」との発言がありました。その後、次席公使を含む8名の館員でチームが編成され、私は航空輸送担当として武漢市へ行くことになりました。

 冒頭に述べましたとおり、私は2019年と2020年の総理訪中における政府専用機の受け入れを担当したことから、日本大使館の中で航空機の運航支援に関して最も経験が豊富でした。当時は新型コロナに関する断片的な情報しかなく、館員は武漢市で万が一感染した時のことを考えていたと思います。しかし、日本大使館には武漢市で身動きできない邦人を何とか無事に救出したいとの雰囲気が醸成されており、その場で翌26日の出発が確定しました。

 北京市から武漢市までの移動は、空路や鉄路を利用することを検討しましたが、いずれもロックダウンのため困難であることが判明し、日本大使館のマイクロバスを運行することにしました。26日14時、私たち館員8名と日本大使館の中国人ドライバー2名の計10名はマイクロバスに乗車し出発しました。途中のサービスエリアで給油や休憩を行いながら、中国人ドライバー2名の奮闘により約1,200キロを夜通し走行し、翌27日の午前7時、出発から17時間後に現地対策本部を設置する武漢市のホテルに到着しました。

武漢市における邦人退避オペレーション

 ホテル到着時、第1便のチャーター機が28日夜に武漢に到着することが既に決定されていたため、私たちに残された猶予は36時間を切っていました。 武漢市に滞在する邦人総数、居住地域、空港までの輸送手段、チャーター機のグランドハンドリングなど課題が山積みの中、次席公使のリーダーシップのもと、できることから一つ一つ着手していきました。

邦人退避オペレーションで最も時間を要したのは、当初500名から600名規模と見積られた帰国を希望する邦人の正確な人数の把握でした。 邦人の把握は、現地対策本部の手には負えず、外務省の在留届及び武漢市の邦人コミュニティから提供していただいた資料を元に、北京の日本大使館及び東京の外務省関係者が人海戦術にて、個別に邦人に連絡を取るなどの方法により、詳細な搭乗者名簿を作成してくれました。

 邦人名簿の作成が進められている時、私はANA武漢空港事務所長とともに、途中いくつかの検問を通過しながら武漢空港に向かっていました。当時、ANAは成田・武漢に直行便を運航しており、空港事務所や武漢市内の営業所に日本人職員を数名配置していました。 武漢空港に到着するとターミナルは照明が消えて薄暗く、売店やレストランは全て閉鎖されていましたが幸い、電力や水など空港インフラは可動していました。

 本来、グランドハンドリングは商社などを介して、契約成立までに時間を要するものですが、ANA武漢空港事務所長のご尽力により、迅速に確保することができました。その後、チェックイン動線、出国審査まで邦人が待機するベンチエリアの確保、待機中に利用できるトイレなど、空港内を入念に確認して現地対策本部に戻りチーム内で共有しました。

現地対策本部では第1便のチャーター機に搭乗する邦人を居住地域ごと区分し、借り上げた大型バスが停車できるピックアップ地点や運行ルートの選定、日本大使館では搭乗者への最終連絡と中国政府へのチャーター機運航申請、外務省では省内や関係省庁との調整が引き続き行われていました。このように邦人退避オペレーションは、武漢だけではなく北京と東京の関係者による徹夜の準備によって支えられていました。

28日深夜に第1便のチャーター機が到着するまで慌ただしい状況でしたが、搭乗者のピックアップや空港のチェックインにおいてトラブルもなく、206名が搭乗し29日午前5時前に武漢空港を離陸しました。武漢市に滞在する自国民保護のため、チャーター機を派遣して最初に武漢空港を離陸したのは29日早朝の日本と米国の2か国だけであり、これは日本政府の迅速な対応の証左でもありました。以降、30日早朝の第2便に210名、31日早朝の第3便に149名がそれぞれ搭乗して武漢空港を離陸しました。また、現地対策本部の増強要員として外務省の中国語専門家が日本から飛来した第1便で4名、第3便で1名が加わり、最終的に現地対策本部は、日本人13名と中国人ドライバー2名を合わせて15名体制となりました。

チームは第1便から第3便まで不眠不休にて邦人退避オペレーションを行い、第4便のフライトは1週間後の予定であったため、私は現地対策本部が置かれたホテルの部屋に戻り、3日ぶりにベッドに横たわると同時に深い眠りにつきました。第3便のチャーター機のオペレーションが終わると、帰国を希望する邦人の総数も明らかになり、残り数便にて邦人退避オペレーションの収束が見えてきた時期でもありました。 その後、2月7日早朝の第4便に198名が搭乗した後、現地対策本部のチームを入れ替えて、17日早朝の第5便に65名が搭乗して合計828名の帰国が無事に完了しました。

邦人退避オペレーションの教訓事項

日本政府において武漢市の邦人退避オペレーションは、感染症への対応として初めてとなるチャーター機の運航でした。退避完了まで幾多の困難がありましたが、今回の帰国支援が成功した背景には、多くの関係者のご協力があったことは枚挙に遑がありません。最後に当時を振り返り、邦人退避オペレーションがトラブルもなく遂行できた要因について3つお話します。

一つ目は、権限を委任された強いリーダーの存在です。ロックダウンの中、現地対策本部の活動は全て武漢市当局の許可が必要であり、面子を重んじる中国の伝統文化から、日本側も中国側と相応の立場の者が不可欠でした。権限を委任された日本大使館ナンバー2の次席公使がチームのリーダーであったことは、武漢市当局と交渉する際にこの上ない強みでした。また、外務省や日本大使館に意図伺いすることなく、現場のリーダーが即断即決したことにより、チームメンバーも迅速に行動することができました。

二つ目は、日本大使館員のロジ対応能力です。冒頭に述べましたとおり、北京の日本大使館は総理の他、閣僚級や局長級の要人による訪中が頻繁に行われることから、館員は他の在外公館に比べてロジ経験が非常に豊富です。特に総理訪中は、総務、警備、車両、空港、広報などの機能別に分かれ館員が総出で対応します。武漢市がロックダウンする直前の2019年12月に総理訪中が行われており、今回の邦人退避オペレーションで現地へ赴いた日本大使館の8名は、総理訪中ロジの各機能の責任者でもありました。現地対策本部は臨時に編成したチームでしたが、総理ロジで気心の知れた責任者同士であったことから円滑な意思疎通にも繋がりました。

三つ目は、地の利を得たことです。1月26日に日本政府がチャーター機の派遣を決定し、第1便が武漢空港を離陸する29日早朝まで僅か3日間でした。全てが迅速に対応できた背景には、現地対策本部を素早く設置できたこと、現地邦人コミュニティの協力が得られたこと、ANA武漢空港事務所によるグランドハンドリングが円滑に確保できたことなど、地の利を得たことが大きく影響しました。

おわりに

2021年7月に防衛駐在官の任期を終えて中国から日本へ帰国した直後、アフガニスタンの邦人等輸送のため空自の航空機が派遣されました。昨今の安全保障環境は極めて速く変化しており、邦人保護や国際緊急援助などに伴う航空機派遣の蓋然性は益々高まっています。今後も微力ながら、邦人退避オペレーションを含む中国における防衛駐在官勤務の経験を空自の防衛力整備や各種計画策定に還元していきたいと思います。


【三木会トップ】