航空神社例祭について
埼玉県所沢市にある「北野天神社」の学芸員をしている中山氏から、59年ぶりの航空神社例祭斎行のご案内が以下のとおりありましたので紹介いたします。
つばさ会からは福永副会長、入間つばさ会萩原事務局長及び永田理事が参列する予定です。
空の安全と武運を祈り殉職者を慰霊・顕彰する航空神社のお祭りですのでご関心のある方は、是非ご参拝ください。
なお、航空神社関連の展示などは4月13日(土)、14日(日)も行っているとのことです。
- 日時:4月15日(月) 11時から
- 場所:北野天神社内の航空神社
埼玉県所沢市小手指元町3丁目28-44
公式HP:https://kitanotenjin.com/
公式x:@kitanotenjinsha(https://twitter.com/kitanotenjinsha)
公式Instagram:https://www.instagram.com/kitanotenjin/ - 窓口:北野天神社 学芸員 中山千里 (003142@kogakkan-u.ac.jp)
所沢にある「航空神社」、初めて耳にする方も多いと思いますが、実は航空自衛隊にも大変縁のある神社です。
学芸員の中山氏から航空神社のご紹介と本例祭の経緯についてご説明がありましたので、以下に紹介させて頂きます。
航空神社のご紹介と本例祭の経緯
現在、北野天神社にある航空神社は、元は所沢陸軍飛行学校の航空神社として創建され、陸軍航空士官学校が入間に開校すると、その校内に遷され祀られてきた歴史があるものです。
終戦後に進駐軍の破壊から守るために、当時の宮司と氏子が総出となって「北野天神社」に社殿と霊璽・霊名簿をお遷しいたしました。
平和条約の締結を機に1953(昭和28)年、陸軍航空関係者の親睦団体「航空同人会」が結成され、徳川好敏が会長に就任し、航空神社奉賛会も結成され徳川が同会の会長も兼務し、航空神社における慰霊祭はいよいよ盛大になっていきました。
しかしながら、その後航空神社の慰霊祭実施が困難な状況となり、航空神社の霊璽等は1965(昭和40)年11月に菅原道大らの護送で奈良県の航空自衛隊幹部候補生学校へ奉還し、教育参考館に奉安されることになり神社を離れました。
その後、入間基地に修武台記念館が開館すると、1988(昭和63)年に霊璽等は奈良から修武台記念館に移されました。
そして2024(令和6)年3月13日に、霊璽等は北野天神社の航空神社に戻り、「航空神社遷霊祭並奉遷祭」を斎行しました。
約60年の間に三度の奉遷を経た航空神社の御霊がようやく元の宮居に戻ることができました。
本年は北野天神社を離れ、59年ぶりの陸鷲のご帰還と例祭となります。
ご関係(ご遺族・戦友など)の方々は「所沢陸軍飛行学校」「陸軍航空士官学校」「明野飛行学校関係(陸軍少将加藤建夫)」「熊谷飛行学校関係者」「自衛隊の航空関係の方々」です。
ご祭神:計4956柱
- 霊璽:(大正2年~17年まで)354柱
- 霊名簿:(昭和18~昭和19年)516柱
- 陸軍特攻戦没者(比島方面飛行部隊)252柱
- 陸軍特攻戦没者(比島方面挺身隊)457柱
- 陸軍特攻戦没者(南方方面(比島除く)飛行部隊)65柱
- 陸軍特攻戦没者(台湾・沖縄方面飛行部隊)235柱
- 陸軍特攻戦没者(九州・沖縄方面飛行部隊)780柱
- 陸軍航空 特攻・本土方面飛行隊55柱
- 陸軍航空 少年飛行出身者382柱
- 陸軍航空 終戦時自決烈士78柱
- 陸軍航空 明野飛行学校関係1651柱
- 祭神 熊谷飛行学校関係117柱
- 陸軍少将加藤建夫以下(祭祀に証左あるも氏名不詳)14柱